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マイ・フーリッシュ・ハート
『ジャズをわかっているということ』 〜福地 史 よく世間のジャズファン(無論自分も含)は 「あいつはジャズをわかっている」 「あいつはジャズをわかっていない」 といったしょうもないことを考えたりする。 そんなとき思い出すことがある。 ある主婦がいた。彼女は一人暮らし 僕とは同期で離婚歴がある。子供がいたのかどうかは聴いていない。 当時、ここ3,4年、ワルツ・フォー・デビーの「マイ・フーリッシュ・ハート」 を毎日聴いているということだった。 他の曲はむずかしくてあまりなじめないということだった。 つらいとき、悲しいときはジーンと来るそうだ。 テレビを見ても孤独感が増すそうだ。 毎日聴いているというが、たまに仲間達と飲みにいったりしたときは さぼってしまうとのことである。 「まあ、よくも飽きもせずに」とは思ったがたしかに 「マイ・フーリッシュ・ハート」には、ひきつけるなにかがあるようだ。 さらに、わたしは考えた。 「マイ・フーリッシュ・ハート」を本当に知っているのは彼女ではなかろうか。 そして、彼女は天上のビル・エバンスにとっても本当にありがたい存在なのではなかろうか。 彼女は、ただの甘いメロディではない、厳しい生きる規範をそこから得ていたのではなかろうか。 僕はいまでも彼女のことを考えるとき 「ジャズをわかっている」 というか 「誰よりもジャズをわかっている」 対象者の個人的な定義が明瞭になる。
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