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函館のことを伝えたい
『青函連絡船からの贈り物』 〜辻仁成 「函館物語」より ●青函連絡船の最後の航海はいつでしたか 最後の最後は、昭和六十三年の秋でした。 それは、数ヶ月の暫定運航という形で、 そのときはもう乗組員が足りなくて、 退職したOBを集めて運航していた。 正式に終わったのはその年の三月十三日なんですね。 そのときに、僕はすでに違う仕事に ついていたんだけども、先輩から、 おまえちょっと制服に着替えてこいという 電話がかかってきた。最後なんだから 仕事をせいと、言ってくれたわけなんですね。 ●制服は持って帰ってよかったわけですか それはね、ほんとはだめなんだけども、 一着だけ持って帰っていた。 その船は、たまたま羊蹄丸だったんです。 僕が最初に乗った船だった。 ●満員だったんでしょうね。 連絡船に乗る若い人たちも多かったんです。 青函連絡船がなくなるというので、 全国から集まってね。 最初は人の多さにただただ驚くばっかり だったんですけれども、 航海が終わる時間にだんだん近づいてくる に従って、乗組員の顔の表情も 変わっていった。途中で、海峡のどの辺かな、 ほかの連絡船とすれ違ったんですけど・・・。 普通、上りと下りで、コースが、どこから 何度で、どういう角度で入ってきてと 決まっているんですよ。 そのときばかりは、接近できるだけ 接近して、お互いデッキで大きな旗を振り合って・・・・。 ●長い汽笛を鳴らすんでしょう。 そう。汽笛を鳴らすときは、船舶法上 決まりがあるんだけど、 もう全然そんなのは無視しちゃってね。(笑) 涙がぽろぽろ出てきて、もうぐちょぐちょでね。 乗組員の部屋と各勤務箇所についている 乗組員だけに聞こえるスピーカーが あるんだけれども、そのスピーカーを通して、 船長が 今日までこうしてやってこれたのは、 おまえらがいたからだ、とね。 それを聞いた途端、涙が出てきて、 最後は何を言っているか全然わからなかった。 ●いい話だ。 船をつけるときに、ああこれで 何か終わったなあと思った。 僕を呼んでくれた航海士が 「今日はほんとによく来てくれた」 って言って・・・。 (涙ぐむ) ごめんね。 ●いえ、いいんです。そりゃそうですよ。 心にしみてくるものがあります。 今、仕事が変わっても、その当時のことが あるから頑張っていけるのかなって思って・・。 ●青函連絡船という命を賭けた仕事、 そういうドラマのあるものの一番最後を 締めくくることができたというのは、 いいことだと思います。 何でもそうだけども、最後の舞台を 締めくくるところに立ち会える人間 というのは幸せだと思いますよ。
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